情報社会学 試験勉強

ブログの中で大学の試験の勉強をしてみる。

授業の名前は「情報社会論」
簡単に言ったら、情報の扱われ方がどのように変遷して行ったか、そしてそれに社会はどのように影響されて行ったかということを勉強した。
大学の授業はあまり好きでないけど、この授業はいつも目から鱗の意見とか聞けるからとりわけ好きな授業の一つである。
で、この授業で使う洋書の中で面白い考察を聞いたので、試験のまとめがてらここにも共有しておこうと思う。できるだけシンプルに書く。これが目標。



私たちは普段から「情報」を消費している。この行為は、文化的消費であって、本能的な消費(衣食住の消費)とは異なる。ここで消費というのは、能動的な行為で、情報を選択的に消費(専有する)ことによって、我々は喜びを感じている。

ポストモダン(次世代)の時代では、モノ<情報サービスの順番になってきている。だから消費のあり方が変容している。

では、従来はどんな社会だったのか。
仕事は男の伝統的な世界であったし、女性のしめる家庭内よりも勝る物として見なされていた。このような社会は大衆文化批判とか消費の生産とか言う言葉でよく知られる先の社会の見方は、大量生産、規格品、標準化などの流れは物質文化の発展に貢献して、権威を失ってきた。

大量消費って言う文化は、キリスト教プロテスタント※1が移住してきたというアメリカで、資本主義※2と融合して出てきた文化である。
資本主義を書いてきたマルクスは、消費についてはあまり触れてこなかった。

「消費」を見て行く時に、消費は個人の「観識眼※3」によって消費はなされる。資本主義社会では、この消費される物=文化資本といい、文化的な価値があるんだと分かることで社会の一定のグループが団結するのに貢献。

ここでモノの中には二つの意味があるということを確認しておこう。
・物質としてのもの(楽器としてのギター)
・意味付けされたモノ(ジミヘンが使ってたギター)→文化資本、象徴としての物
これ混同しないようにしよう。

でもでも、この考え方に反対する考えもある。
消費は必要とか便益とかで、アイデンティティにそって私たちは消費するんだ。という考え方。どっちがどっちを規定するのかということ。

「消費するから私たちがいる」  のか  「私たちがいるから消費する」  のかということだ。

これを解き明かすのは、「消費の喜び」を調査する必要がある。ってなって、これを質的調査につなげて行く訳だ。そして、これが政治的に重要な物であるということが分かる。

話は消費から「日常生活」になって行く。
人類学的な意味で見ると、日常というのは

  1. 退屈、繰り返しのつまらないもの
  2. 生産的な消費活動
  3. 官僚的なピラミッドシステムとは反対のもの


※1マックスウェーバーによると、今生きているこの世で一生懸命働くということはいいことだよ!この世で成功することは神様に護られている証さ!っていう考え方
※2カールマルクスによると資産家と労働者という関係を利用するという考え方。資本家が資本(お金とか)を出す、たくさんいる労働者は資本がないので労働を提供する、という生産様式



さて、ここまでが第一章のまとめ。
まだまだ続くがこれが長いので次の日記に書くことにする。