アムリットサル旅行

ジブチョークのレッドフォート前から出発する夜行バスに乗ってアムリットサルに行く。

行きのバスでは隣の席が空いていたので、二席を使ってごろんと横になってずっと寝ていた。
朝7時にはアムリットサルのバスステーションに到着していた。
今回の旅のメンバーは僕とスイス人とコロンビア人3人とカナダ人そしてブラジル人であった。
アムリットサルに着いてから、まず一番の観光名所であるシク教の聖地のゴールデンテンプルに行った。

リキシャーを使って数十分で目的のゴールデンテンプルに到着。

シク教というのはヒンドゥ教の中の一つで、インド全国民の10%がシク教徒つまり1億人がシク教である。パキスタンとの国境紛争の際にもシク教徒は死を恐れずに戦ったことから勇敢な性格が多いらしい。また、男性はターバンを巻いていることが特徴の一つである。

ゴールデンテンプル内は裸足で髪を隠すようにバンダナを着用しなければ行けなかった。
ゴールデンテンプルは見た目は日本の金閣寺にそっくりで、全体が金色で太陽に輝いていた。僕たちは写真を撮りまくって、しばらく時を忘れて見入っていた。
ゴールデンテンプルの周りは水郷のようになっていて、シク教徒が水浴びをしていた。沐浴を始めていたのでその様子も見ていた。何か人の目も気にしないでよく入れるなあとか思ったと思う。

ゴールデンテンプルの中にはタダで食事ができたり、泊まれる施設がある。これはシク教の施しの一つである。その恩恵にあずかって僕たちも今夜はゴールデンテンプルの敷地内のドミトリーに宿泊することにした。荷物を置いて、昼ご飯にすることにした。

タダで食事のできる施設は一日中稼働していて、シク教の強面のおじさんとかが食器を配っていたり、小さめのターバンを巻いている少年が一生懸命皿を洗っていたりしていた。
人ごみにまぎれて食事の列に並ぶ。列なんてなかった。。。隙間を空ければ人が割り込んでくるので、おしくらまんじゅうで食事場所に着く。ワンフロアが数百人が座れるような場所の地面に座るとシク教の人が食事を上から落としてくるのでそれを皿で受ける。チャパティというナンのもっとぱさぱさしたの、豆のカレー、ココナッツミルクのおかゆがメニューでほぼかわらなずにこのメニューが出てくる。
どれもおいしかった。特にココナッツミルクのおかゆは格別でいくらでもおかわりをもらいたいくらいだった。スパイシーなものは特になく、誰でも食べられるように工夫されているなあという印象だった。

食後はドミトリーに戻って昼寝をした。日中に動くことは自殺行為である。砂漠地帯でデリーよりも気温が高い気がした。インドの人が日中に走っているのを見たことがない。これは実際に体感したらわかるが走ると二倍疲れるからだ。
バスでの疲れもこれでとれた。

お昼に起きてからタクシーでその他の観光地へ行くことにした。アムリットサル自体はそんなに大きな街ではないし、ゴールデンテンプル以外の観光地も限られてはいる。
タクシーを手配して、近くのシク教の寺院に参拝にいった。この寺院は比較的新しい寺院らしくまだ工事中の仏像もあった。お寺の中がアトラクションのようになっていて、鏡で覆われた部屋に入ったり、きれいなタイルばりの部屋があったり、足下に水が流れていてその中を歩いたり、参拝の方法もいろいろあるのだなという印象だった。

夕方の6時からはインドパキスタンの国境での軍事セレモニーがあるらしいのでそちらに向かう。印パ戦争という言葉は聞いたことがあったし、緊張関係にあるということは知っていたので恐れてはいたが同時に興味があった。アムリットサルの中心部から30キロ、国境の手前1キロから車の侵入は禁止になって歩いて向かうことになった。たくさんのインド人の観光客が押し合いへし合い、ゲートが開くのを待っている。
待っているとインド人の若者グループが僕に声をかけてきた。アムリットサルの人はデリーよりも気さくで日本人の顔をしている僕は結構声をかけられる。彼らと写真を一通り撮って一緒に開門を待って一斉に走る。先ほど走ると死ぬと書いたが、この時点で体力はゼロだった。熱中症になってるんじゃないかと思って水ばっかりのんでた。
外国人専用の席に座ってセレモニーを待った。例えるとサッカースタジアムのような場所だった。国境の門が中心にあって、インド側の席がすり鉢状に広がって、パキスタン側の席も同様にすり鉢状に広がっている感じだった。パキスタン側にも人がいっぱいいた。パキスタンにとってもこれはイベントらしかった。しばらく待っているとインドのダンスミュージックが鳴り響いてパキスタン側を挑発するようにインド人たちが声を上げだす。インドの国旗を持って走ったりする催しもあったり、中には踊りだす人もいたり、みんな楽しそうだった。僕はコーラが飲みたいと思っていた。パキスタン側も門で見にくかったが何かしら音楽をならして挑発している様子だった。挑発大会が終わるとインド側のリーダー的な人がマイクで「ヒンダスターン ヒンダバ!!(インド万歳!!)」と煽り始めた。するとインド側のスタンドが一斉に「ヒンダスターン ヒンダバ!!」と返す。何度も繰り返す。ナショナリズムを感じた。もちろんパキスタンもなんか言っている。
メインイベントの開始。軍の人が登場して行ったり来たり。門の近くにいって開門。パキスタンの軍の人と国旗を降ろし合っている。旗をたたんだらセレモニー終了。
総じて感じたことは日本でこんなの見れないと思った。日本にはこんな陸続きの国境がないし、そのせいか国境の意識が低いと思った。ナショナリズムを感じることって普段はサッカーの国際試合くらいだと思うけど、インドのこのイベントを見て軍事パレードのイメージが変わった。軍事は国境戦争とかは置いておいて国民の意識統一に一役買っているなあと。まあそんなに右翼思想ないけど。
今回一番面白かった。

帰りにブラジル人が先に帰るというので別れて、ドミノピザに行った。インドにもドミノピザ、ピザハットはある。もちろんチキン以外の肉はない。中にはベジタリアン専門のピザ屋もある。
インドに来てからチキンとマトン以外の肉を食べてない。先日ある日本人から聞いたけど、インドから日本に帰って、調子のってすしとか焼き肉とか食べると腹を壊すらしい。インド生活で腹の中に菌が生息していて、生もの、脂っこいものは受け付けなくなるらしい。悲しくなった(´・ω・`)ベジタリアンになって帰ってくる。
ドミノピザで食べたのはトマトとチーズのピザ。野菜が結構大きく切ってあるのでおいしい。

もうすっかり夜になって、ドミトリーに戻る。戻ってから、ゴールデンテンプルのライトアップをみんなで見に行く。池のほとりに座ってしばらくみんなできれいなライトアップをぼんやり見ていると、シク教の少年たち3人が僕に声をかけてきた。外国人の観光客がこんな時間まで外にいるのは珍しいし、日本人っぽい人もなかなか見つからないから声をかけてきたのだろう。彼らはヒンドゥー語しか話せないらしくて英語とゼスチャーでなんとか会話をしていると、カメラを見せてくれと言ってきた。写真が見たいのかなと思って、今回の旅行の写真とかを説明していると、もっともっとという風になって、家族の写真とか富士山の写真とかそばの写真とかを見せた。どれも好奇の目でキラキラさせながら見ていたので一生懸命説明した。
その日はもう遅い時間だったのでそれで終了。

翌日は日中はほとんど外出せずにドミトリーの中で過ごした。太陽の下で活動するのは思った以上に疲れるのか、めっちゃ寝た。
テンプルの中は基本裸足。トイレも普通のトイレだけど裸足。もう汚いとか言ってられない。テンプル内では人がどこでも寝ている。死んでるんじゃないかと思われる人もいるが寝てるだけ。誰も気にしない雰囲気。

昼過ぎになってみんなおきだして、活動開始。
ジャリヤーンワーラー庭園というところに行く。ここはインドのイギリスからの独立運動の時におこった「アムリットサルの大虐殺」現場である。火が一日中焚かれていたり、モニュメントがあった。実際にインド人がイギリス軍に殺された時の弾痕を見つけた時に悲しい気持ちになった。
インドの人は今ではここが憩いの場らしく木陰でみんなくつろいでる。
そこで昨日の少年たちに再会。向こうから声をかけてきてくれて、ひさしぶり!みたいになった。
また新しい人がいてその人に写真を見せてほしいって言われたのでカメラを取り出して見ていると、昨日もそうだったが、どんどん人が集まってくる。僕のデジカメの小さな画面を大勢のインド人が囲んでみようとしている。15人くらいになってみんなと写真を撮って握手をして帰ろうとすると、みんなついてくる。タダで入れる資料館の中にも一緒に入ってきてヒンドゥ語でいろいろ説明してくれるが何を言っているかわからない。

なんとかみんなを振り切って近くのマーケットに。女性陣は買い物がメインだけど僕はそんなに欲しいものもなかったし、シク教のシンボルである、鉄のブレスレットを買ってつけてもらった。もうとれないw

ドミトリーに帰るともう日が暮れ始めていた。ドミトリーの中に日本人がいるということなので会いに行くと、大阪から来たというバックパッカーの方だった。
話をしていて、バックパッカーという人種の旅する目的がよくわからんなあと思った。彼は90カ国以上の国を回ってきたとか、いろんなことを知っているような口ぶりで僕が質問したことしないことの答えをペラペラとしゃべっていた。特に思い出に残ったこともない。世界のすべての国を制覇するのが目的なのかなあと思ったけどそれの何がすごいのかよくわからんくなってしまった。すべてをわかることなんてできないのにすべてわかったような口ぶりで話していたのが気持ち悪かったのかなと思ってしまった。

ゴールデンテンプルのライトアップをもう一度見に行く。砂漠地帯特有の雷を経験してご飯を食べに行く。

前と同じようにご飯を待っていると、少年たちに再々会した。彼らも喜んでいたみたいで一緒にご飯を食べた。この日は日曜日でスペシャルディナーだぜと臭に一度しか出ない、チキンのカレーが少年たちはうれしいようだ。ご飯の後にチャイを配っていたので、初めて本格的なチャイを飲んだ。家で作るのと違ってめっちゃおいしい。

彼らと一緒にまた写真を撮って、電話番号を教えて(連絡できるとは思えないw)別れた。アムリットサルの人は陽気ですごい好きだ。

ドミトリーはタダで泊まれるが寄付を募っているので100ルピーを渡して、バスステーションへ。
インドの夜行バスでいい思い出がない。バスはみつからない、時間は送れる。結局バス変更で予定よりも小さい先に押し込まれて、寝付けずに帰る。途中のトイレ休憩(多分トイレはない)でドアを開けた瞬間に蚊が数百匹入ってきた時に卒倒しかけた。急いでキンカンと虫除けを使いまくったのもいい思い出である。

不眠で朝の6時にレッドフォート前のバスステーションについてがんばって学校に行く。

授業の内容は覚えてないが、いつもよりもしゃべっていたのを覚えている。疲れである。

放課後には帰って寝るんだと思っていたら、友達から有名なマーケットがあるから行かないかと誘われて、行くことに。なぜ行こうと思ったかはわからない。

観光客にとって有名なマーケットではズボンが100ルピーで売られていたり、いろいろと安かった。シーツを買ったり、チャイ用のネットを買ったり、楽しく買い物をした。よく買い物できたなあと思う。

帰ってからやっと寝れると思って、アパートに戻ると日本人が集結していた。何やら話し込んでいた。インターンシップとか就職活動の話をしていたので、僕も参戦。
みんなの考えていることの共有をはかってそれぞれの意見をぶつけた。個人の就職の話をしていたはずなのに、日本の今後のあり方とかについてまで話が及んで、楽しく真剣に対話をした。
みんなまじめでいい奴らだなあと思った。

結局その話が終わったのが午前5時。少し寝てから学校に行こうと思って起きたら午後1時。
起きたら疲れがたまっていたのか、頭痛と腹痛に悩まされて学校に行けず。今日は一日寝ていました。
また明日からがんばろうと思う。
最後は駆け足になりましたが先週末から今週最初の日記をまとめて書きましたとさ。