つれづれ

【旅行と写真】
旅行にも興味なくなった。

どこに行ってもみるものは建物で、人との交流はなく、写真を撮り続けるだけ、それにどれだけの意味があるというのか。

写真なんて専門家に任せればいいし、建物も大概は高いね、大きいね、きれいだねで終わる。

心に残らない。だから写真を撮るのか。

写真を撮る意味というものを考える。誰かに伝えるため。それは将来の自分に過去の自分を記憶させておくもの。それは他人に見せるもの。

自分の世界に没頭すること。それは旅行先には存在しない。もう誰もいないところに旅行することは何の価値も見いだせない。

旅行するなら友達のいるところ。それは例えばイタリア、スイス、ロシア。友達に会えたらそれでいい。彼らに会いたい。コロッセオ赤の広場も僕にとってはサブのものでしかない。

あるいは、日本に戻っても、汚くて安い居酒屋でいっぱいしながら、身もふたもない話を延々と話せる友達がいればそれでいいのかも。

どんだけ、きれいなものをみても、それを友達と共有できなければみた意味がない。どうやって共有する?語ること、写真、映像、音楽、におい。五感でしか感動を伝えられない。自分自身を他人と同期させることなんてできないから、逆もそう。伝える手段なんて限られてる。

ならば、どんなに否定的に考えてしまったとしても写真をとるべきだし、記憶にとどめて語るべきだし、何かを自分の中に残すべきだ。


【習慣化】
8月のこの一ヶ月はとにかく、習慣を身につけた一ヶ月だった。何かで読んだ、自分を変えるためには習慣を変えるべきだと。その通り、どんなにしんどくても毎晩ご飯を自分で作った。ルームメイトがインスタントで済ましていても僕はかたくなにジャガイモと人参とタマネギを使ってなんとか料理をした。これは習慣になったはず。

何かが確実に変わってきた。仕事場に毎日通うことですらしんどいのにそれを続けるお父さん。お母さんは毎日洗濯してたな、料理もしてたな。って言うことに感謝するようになった。経験して初めてわかった。

この3ヶ月テレビを見るって言う習慣をなくした。ネットに依存するようにはなったけど、時間を無駄にしているっていう気持ちはなくなった。これもいい傾向だ。

思ったことを口にすることの重要性も身にしみてわかった。好きなものは好きって言っていいし、嫌いなものを嫌いって言わないと周りは好きだと勘違いする。

こんな、当たり前のことがわかっただけでも十分。僕にはお腹いっぱいです。みんなは何かにつけて時間を無駄にしないようにアレコレとどこかに出かけているけど、そんなもので持ち帰れるものは写真と思い出くらいだ。

それでいいならそれでいいけど、もっと汎用性のあるものを持ち帰ろうよ。こんなことと向き合えるのもこの時期しかないし、貴重だなって思う。



【ルームメイトさっき帰る】
今日はルームメイトの一人が帰った。彼はプレイボーイでイケメンだった。そんな彼にも難があって、嘘つきだということ、その正確に悩まされたこともあって、複雑な気持ちだった。はよ帰れなのか、帰らないでほしいのか。

あっけなく別れてしまったけど、それはそれでいいのかも。


【右翼左翼】
最近ネットの記事で海外志向の人は左翼だとか、ネトウヨ気持ち悪いとか右翼とか左翼とか、韓国と国交断絶とか言われてるけど、もっとみんな体系的に考えるべきなんだよな。企業とか個人とかのレベルと国家のレベルって異なると。国家は国益、国土、とかを守るべき存在で、それを重視しているからって右翼でもないし。今度韓国行きたいんだけどって個人で思っていることがそのまま左翼につながる訳でもない。


初音ミクという存在が気になる】
初音ミクに反応するのが遅いというか、初音ミクという存在が気になりだしたのがインドだからだったというか。
何とも面白い存在だと思う。みんなの好きだという魂が詰め込まれて一つのアイドルを形作っている。この考え方は宗教的だし、彼らにとっては神なのだろうな。Youtubeで何個か動画みたけど、あの機械的なか細い声というのが何とも魅力的だと感じた。可愛いと。


とりとめもなく何かを書いてみたけど、ほんとに取り留めないなw
これが最近頭をぐるぐるしている内容。