まっすぐすぎてまぶしかった
中学と高校でずっと一緒やった野球馬鹿がいる。
そいつはずっと野球のこと考えてて、部活がどうとか、プロ野球がどうとか、話せばずっとこんな話題だった。
中学の時は可愛いもんだった。
高校になって、当時進学校だった自分は部活も禁止でずっと勉強していた。そいつと言ったら、部活禁止のくせに野球部に入りたいからってクラス変えてしまったり、当時勉強のことしか頭になかった自分は何考えてるんだろうってその時は思ってた。
大学の時は知らない。
社会人になって、facebookで今見てみたら、野球のことばっか書いている。
ずっと変わらないんだなーと懐かしく思って読んでたけど、それと同時にうらやましく思った。
好きなものもコロコロ変わって、好きになったからってずっと好きな訳でもなく、長続きしないこの性格をうらめしく思った。
好きなものを好きって言い続けられるのってかっこいいなって思った。
なんでやってんだろうって思いながらもし続けることが重要
年上の人にそれやっておけって言われたことでなんでやってんだろうって思いながらやってきたこと。
とりあえずやっとけ。
なんでやっているかいつか分かるから。
でも、その人の経験則でやっておけってだけのことだから必ずしも必要になるとは限らんね。
まどかマギカと進撃の巨人
テレビ版を全て見ました
めっちゃおもしろい
区別とか
友達が同性愛者だって告白してるのがfacebookで流れてきて、びっくりした。
でも僕はそれはそれで今まで通りにつきあってくよ。
性別なんて誰かの決めた区別でしかないから。
世の中は多様だ。白黒つけれないものだってある。まるで絵具が滲んでグラデーションを出しているように、女の子っぽい男性もいるし、男っぽい女性もいる。
そんなので差別はしない。
差別の内容が性ってのなら、どこかの世界では汗をかくかかないっていう区別かもしれないし、アトピーか非アトピーかとか、身長170センチ以上かそうでないかかもしれない。
体重かもしれないし、箸の持ち方かもしれないし、足が速いか遅いかかもしれない。
じゃあぎりぎり多数派に入っててよかったで済ますのか、少数派に入ってしまったからって卑下するのか。
いや、今僕が例にあげたのは少し違うかもしれない。
努力で何とかなるものとならないものがある。
どうにもならないものは受け入れるしかない。
話は変わるけど、最近ワンピースに冷めてきている。
あいつらは気持ちとか根性とかで戦いに勝ってきたから
瀕死の状態で気持ちで立ち上がってきたのならそれは瀕死ではない。
体力があったからだ。
無理なものは無理なのだ。
それを受け入れるしかない。
自分はこんなんだって言うのを受け入れて初めてスタートである。そこから始めればいい。
だって気持ちで、根性で変えられないもん。
生産性を上げる作業
最近は現場の先輩とも仲良くなっていろいろ話を聞く。
高校卒業して大学に行くことを当たり前みたいに思っていた世界とは違う世界を見ている。
高卒でウチの作業所に就職して、20年の40手前の人と話してた。
要約すると、
20年間やっていることは全く変わらない、転職は何回も考えた、やめたい、けどもうやめられない。
若いうちにやりたいことを見つけたらやめるべき。
我が社の現場の作業なんて言うのは、単調作業でいつも一緒。
仕事は耐えるもの、趣味を生き甲斐に生きているって感じの人だった。ただし仕事はめっちゃできる。
社会の要請でこんな単調な仕事が産まれたのか、我が社がこんな単調な作業形態にさせてしまったのか、もっといろんな人がやりがいを持って仕事できる社会になればいいのにと思ってもやもやしてる。
さて生産的な(=効率的な)作業って言うのを日々追い求めているんだけど、このことが配属になっても考えられるようになりたい。問題点を追求して改善していけるような職場に行きたいな。まあウチは古くさい企業らしいのでそのようなところはないかもしれないけど。
あー海外行きたい!
友達と友達を引き合わせる
昨日は飲み会してた。
僕の好きなことの一つに友達を紹介することがある。
友達はたくさんいる方だと思う。
しかも、特定の趣味がない方なので、いろんなジャンルに友達がいるって言う自身がある。
登山好きの奴、音楽好きの奴、海外旅行好きの奴、飲み会好きの奴、環境系の奴、高校の同級生、大学の同級生、会社の同僚。。。
友達には年下、年上も関係ない。男女も関係ない。
共通するのは、ノリがいいこと。
昨日は高校の同級生と会社の同期を会わせた。
いつも特定の人間と一緒に飲み会をしても何も産まれないと思っているので、新しい化学反応を起こしてみたかった。
実際今後も僕を媒介にいろんな人がいろんな人に出会って行ってほしい。